4月7日
コスタリカ滞在最終日だ。フライトは午後2時過ぎだから昼過ぎまではまだ何かできる。朝5時半には目覚め、溜まり続けるメールに目を出来るだけ通しながらも、残り僅かしかないコスタリカ滞在を最大限有意義なものにするためにホテルを早々に出発した。
ホテルから中心部までは徒歩10分弱。毎度サンホセ市内はどこに行くにも徒歩で通した。景観だけでなく、街を歩く人々を観察した。この日はまるで初めて歩いたお祭りの日とは様子が違っていた。火曜日の朝、バスを待つ人々。足早に職場かどこかに向かう人々。やっと普通のサンホセの表情を最終日に見ることが出来た。
これなら今日は国会も開いているはず!とピンときて、前回は門番すらいなかった国会の建物に向かってみた。すると建物の入り口付近に国会議員らしき人たちが出入りしている様子が見えたので、予想は当たっていた。時間は朝9時ちょっと過ぎ。いいタイミングだと勝手に思い込み、国会内の見学を門番の女性に申し込むと、首を傾げる様子だったが、たまたま通りかかった人がコスタリカ政府の広報官だったことが幸いだった。手短にプロフィールを述べると快く案内を引き受けてくれ、今は無理だが11時に再びここで待ち合わせしようという手はずになった。
約束通り11時過ぎにリカルド・ルイスさんが来てくれ、プライベートツアーが始まった。英語は下手なんだと言いながらも、とても丁寧にコスタリカの政治システムについて説明してくださった。会議は誰でも傍聴できるそうで、確かにガラス張りの手前には傍聴者がいた。現国会議員数は57人。うち20人が女性。任期は4年で再選禁止のためまた議員になりたい場合は4年待たねばならない。25歳以上でコスタリカに10年以上住んでいて、あとは細かい条件をクリアーしていたらコスタリカ人でなくても議員になれる。現にスペイン人とメキシコ人の議員がいるそうだ。
リカルドさんに、まさしく隅々まで国会の建物内を案内していただいたのだが、議場内の国会議長席に座ることを勧められ、記念写真を撮ってくれるのだからなんてお茶目で、オープンでサービス精神旺盛なんだと感心した。
残念ながら現役の国会議員には話は聞けなかったが、リカルドさんに周辺国が軍隊を持つなか、コスタリカがどうして軍隊を持たずに平和を維持できているのかを質問してみた。
君たちは軍隊がない国のことを想像できないと言う。私たちにとっては、軍隊が存在する国のことを想像できないんだよ。
何とも発想の出発点が違うことか!そうか、軍隊が存在しない国で生まれ育ったとしたら、当然ながら軍隊がいないことが当たり前の世界になるのだ。コスタリカの憲法でも、日本と同様に軍隊を持たないことが明記されている。しかし日本には公式には軍ではない、自衛隊が存在し、軍事費は世界でトップクラスだ。最近では武器の輸出も始めているのだから、同じ平和国家と言えど、建前上の平和国と本質的な平和国とでは雲泥の差が存在する。
ただし、隣国ニカラグアとは関係が悪く、今日現在コスタリカの北部を侵略しているのだという。
「ニカラグアはパナマ運河のようなものを建設したく、コスタリカ北部、スカレロに侵略したんだ。このことについてコスタリカは5年前から国際司法裁判所に問題を提起しており、ゆっくりと問題解決に向けて動いている。もし本格的な侵略が始まったら、アメリカ大陸各国と締結している条約(米州相互援助条約またはリオ協定)があるから何かあれば軍事的なサポートは受けることが出来る」
そもそも軍隊を廃止したのも純粋に平和国家を目指したのではなく、実はクーデーターを恐れた当時の大統領がクーデーターを防ぐ目的で廃止したという裏話を数名から聞いたが、いずれにしてももはや軍隊が存在しないコスタリカの平和を守るために、戦略的に軍隊を持たないなりの外交をしているということなのだろう。国連平和大学をコスタリカに誘致したのも、戦争防止に多少なりとも良い影響があると考えての事だったのかもしれない。このあたりはコスタリカ研究家、足立力也さんの著書平和ってなんだろう―「軍隊をすてた国」コスタリカから考える (岩波ジュニア新書)が詳しい。ちなみに国連が定めたピースデーを9月21日にすることを2001年に提案した2ヶ国はイギリスと、コスタリカだった。様々な場面で平和国家ブランドをPRし、心情的にも敵対する意味を根底から削ぎ落としてしまう。そんなしたたかな賢さをじわりじわりと実感していったコスタリカ最後の体験となった。
平和ってなんだろう―「軍隊をすてた国」コスタリカから考える (岩波ジュニア新書)
コスタリカ日記 テノリオ国立公園麓の農家風古民家ステイで癒される
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