去年10月7日、ハマスによるイスラエル攻撃。
その後、現在まで8ヶ月以上続くイスラエルによるガザ地区への攻撃が終わりません。
日々、ガザでは子どもが、親が、国連職員が、医師が、教師が…ハマスとは関係のないありとあらゆる人々が命を落としています。
この戦争は、ハマス殲滅という枠を超え、ガザの人々全員に対する戦争になってしまっています。一刻も早い休戦を願い続けています。
25年前の1999年1月。僕は旅行者としてガザ地区に入りました。
誘ってくれたのは、福岡出身の女性で当時ガザ地区でボランティアをされていた藤永香織さんです。
ガザのことを知って欲しい、伝えて欲しいと日本人を見かけては、声をかけていたそうです。
応じて入ったのは僕だけだそうですが…。
この時、ガザに行かなければ、ユナイテッドピープルの存在はありませんでした。
戦争のない世界の実現を目指す、そんな夢も生まれなかったと思います。
その点、人生の起点となるガザ訪問でした。
25年経過し、これまでの戦争とは比べ物にならない戦争が起きてしまい、苦しく、悔しく、悲しく、あらゆる感情が心をかき乱しています。
とにかくできることを全てをやろうと、ガザ関係の映画を2作品追加配給し、合計3作品を日本で届けています。
先週、6月15日(土)は福岡市美術館で「ガザ・サーフ・クラブ」の上映を行いました。
上映後に「映像でいのちを守る!」をテーマに、英進館専任世界史講師の青木裕司さんからはパレスチナ問題の経緯の解説。福岡インディペンデント映画祭国際担当の西谷郁さんからは映画の力、映画祭開催の意義等についてお話がありました。
この会場に香織さんがご来場いただけることになり、登壇者2名に相談しました。香織さんを壇上にお招きしてもいいかと。お二人が快諾してくれたため、トークの途中で上がっていただきました。実は彼女はガンを患い、闘病中なのでご来場ができるかどうか分からなかったのですが、来ていただけました。
彼女は、僕が初めてガザに入った後、現地の方とご結婚されました。今は、彼女は福岡で暮らしていますが、旦那さんと子どもたちはガザにいます。闘病中の香織さんに代わって、読み上げた文章を記載します。
「藤永香織と申します。パレスチナ・ガザ地区に家族がおります。今日は、ガザの家族からのメッセージを読ませていただきます。
「日本の皆さん、こんばんは。僕たちはマッスーシーとムハンマド。今はハンユニス郊外に逃げています。
近隣はドローンが飛ぶくらいですが、ラファヘの攻撃音が聞こえてくる毎日です。これまで、爆撃音に怯えながら、明日も生きていられますようにと祈り、朝、目が覚めたら生きていることにホッとする。
こんな生活が8か月以上も続いています。
ガザの人間というだけで、僕たちは殺されても仕方がないのでしょうか。僕たちは死にたくありません。殺されたくありません。
一日も早く停戦してほしい、どうか皆さんの助けが必要です。僕たちがこれ以上殺される前に、どうか助けて下さい。」
電話が繋がった時、彼らの声のすぐ後ろにドローンの飛行音が大きく迫って聞こえることがあるのですが、今にも子どもたちが撃たれるのではとドキドキします。
逆に、近所の子どもたちが遊びまわる甲高い声が聞こえると、活き活きとした命のざわめきが電話の向こうに満ちているようで嬉しくなります。
けれど、今この瞬間にも命を奪われている人がいるかもしれないと思うと、胸が苦しくなります。
彼らが殺されていい理由など、どんなに探しても見つかりません。
もう、誰にも死なないでほしいです。イスラエルの人質も含めてです。そのためにも、一日も早い停戦が必要です。
どうか、ガザに寄り添って下さい。あなたの助けが必要です。
あなたの関心が、あなたの行動が、ガザの誰かの命を救うのです。 一刻も早い停戦の実現の為に、どうかあなたの力を貸してください。」
イベントが終わってご家族への支援にもなる香織さんの著書「ハヤーティ・パレスチナ―夢をつなぐカフェ」(復刻版)を買った方が30名で完売。彼女のメッセージが伝わったと感じました。
ガザ関係の映画の上映を続けます。7月13日(土)にはシネマスコーレ(名古屋)で「医学生 ガザへ行く」が公開。初日にトークします。
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