香港、アムステルダム、マドリード、ニューヨーク、北京と移動して日本に戻りました。ずいぶん疲弊しましたが、いい体験や出会いが数多くありました。帰国便で、空を眺めながらこう思いました。地球にも、人類にも国境線はないと。

ニューヨークでは国連機関の会議に出席し、多様性は豊かさであるというメッセージを度々耳にしました。そもそも私たちを隔てているものなにかと、度々考えさせられました。

カナダ在住で、レバノン生まれのパレスチナ難民ジャーナリストは、ずっと母国に帰ることが出来ずにいたと語りました。パスポートがそれを許さなかったからです。カナダの市民権を得てやっと、母国に行くことが出来たそうです。

PLURAL+ 2018 Gala Dinner (87)

フィリピンからアメリカに不法移民したジャーナリスト(アメリカ到着後に自分が持っていたビザがフェイクだと知る)は、25年もフィリピンに帰ることが出来ていません。未だ、非合法滞在のようですが、賞を受賞するほどの仕事をアメリカでしてしますし、本も出版しました。彼は、そもそもアメリカは、移民によって出来た国だと訴えました。そして、白人の移民は勇敢で必要な行為で、合法しかし、有色人種による移民は違法なのはなぜかと。

PLURAL+ 2018 Gala Dinner (79)

父親がパレスチナ人で、今はイギリスでジャーナリストをしている女性は、やはりパスポートの問題で、一度もパレスチナに行ったことがないと語りました。いつか、祖国へ帰ることが夢だと、涙目で語りました。何が、私たちの移動を阻害しているのでしょうか?

イラク、バグダッドから始めてアメリカに来た、歯科医師のサメールは、ISにより家を破壊され、命以外の全てを奪われ、3年間で16回転居しての逃亡生活。しかし、一度も自分を難民だと思ったことはないと語りました。自分が存在する場所が、ホームなのだと。アメリカ入国は難しいと思われましたが、何とかビザがおり、来ることが出来ました。

隣のイランからの若者たちも招待され、150ドル払いビザを申請しましたが、アメリカの敵国とみなされているために、入国すら出来ませんでした。

マドリードからニューヨークに向かう飛行機で隣になったアメリカ人と、何時間も話ました。すると、もうすぐカンボジアの女性と結婚式を挙げ、カンボジアに移住するといいます。彼に、日本には、在日コリアンの存在があり、国に帰れ!など言われ、辛い思いをしている人もいることを話すと、こう言いました。

「アメリカでは、ネイティブ・アメリカンに、国に帰れ!と言う奴がいるよ」と。

「どこに?だよね。」

「僕にはそんな比喩しか言えないけど、帰れ!なんて馬鹿げてるよな。」

人類は、どこから来て、どこへ向かうのか?
きっと、移動し続けてるのだろうし、国の形も、人々の考え方も、ずっと変化し続けてるのだと思う。今回の旅で出会った多様な一人ひとりとの出会いは、人生を豊かにしてくれたし、いつか彼らの国にも訪れたいと強く願っている。映像祭の最後の方で流された映画でこんなメッセージが出ていた。「I AM YOU」。みんな、こう考えるようになれば、戦争なんてなくなるのではないかな?


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