後藤健二さんが亡くなってしまった。
帰国されたら会ってみたいねと、話していた。
残念でならない。
でも、死は、違う命の始まりかもしれない。
その人の記憶や言葉が、心の中で生き続けるから。
後藤健二さんの死を生としてとらえること。
何を伝えて来たのか、何を伝えたかったのか知ること。
それなら、できる。
分かっている。イスラム国は残虐。
最大限の言葉で非難すべきだろう。
しかし、残虐なテロの結果だけに気を奪われて、
憎しみや怒りや、恐怖を増幅してはいけない。
憎しみは、憎しみを生み、
暴力は、暴力を生み出すから。
今、私たちがすべきこと。
それは冷静になって、後藤健二さんの
人生の軌跡に関心を寄せ、彼の人生を知り、
生きている私たちが、彼の人生を活かすこと。
そして平和を求めること。
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。
— 後藤健二 (@kenjigotoip) 2010, 9月 7
そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない。
— 後藤健二 (@kenjigotoip) 2010, 12月 1
はじめまして。僕たちも大きな地図というか地球儀を作ろうとしているんですよ。親しい者同士かは全くわかりませんが、地球という星の上に自分が居て、彼らもいる-そのことを知るきっかけになってくれると思います。
— 後藤健二 (@kenjigotoip) 2010, 4月 19
とても共感する。一つの地球上で生きる私たち。
肌の色や宗教や国籍や境遇は違っていても、ほんの少し違うだけ。
共に平和に生きる道は、きっとある。
「何が起こっても、私はシリアの人たちを恨みません。
何が起こっても、責任は私自身にあります。
どうか日本の皆さんも、シリアの人たちに何も責任を負わせないでください。」
彼の言葉は忘れません。心の中で生き続けます。
そして日本がこれまでと同じように平和であり続け、真の世界の平和実現のために、日本らしい貢献を続けることを願います。
コメントを投稿するにはログインしてください。