世界中の子どもたちが、大人たちが平和を求めているのに
未だに戦争がどこかで行われている、現実。

20世紀は人類史で最も戦争で人が人を殺した世紀として
記録されるのでしょうが、戦死者数は数千万人。
なぜ、どうして?

亡くなったすべての人の魂のために祈りたいと思います。

* * *

終戦の前日、九州大学のユヌス&椎木ソーシャル・ビジネス研究センター(SBRC)
の岡田教授のところに訪問してきました。

貧困をなくすために革命的な「マイクロファイナンス」を生み出した
ムハマド・ユヌス氏の挑戦についてだけでなく、世界経済、そして日本の
将来について話に花が咲きました。

岡田教授から、「この建物は、かつてアインシュタインが来たところです」

「ああ、ここが噂の」。以前から聞いていたところに偶然、来て
何か感慨深いものを感じました。

アインシュタインは、自分の提案して製造された原爆が、ヒロシマ・
ナガサキに落とされたことを悔いて、この、人類を滅亡させるほどの
破壊力のある兵器は、世界政府樹立なくしてなくすことはできないと、
訴え、「世界連邦運動」に賛同します。

アルベルト・アインシュタインと日本

  過去から学び、今日のために生き、

  未来に対して希望を持つ。

  大切なことは、何も疑問を持たない状態に、

  陥らないようにすることである。

  第3次世界大戦では分らないが、第4次世界大戦では、
  人間は多分石を持って投げ合うだろう。

         -アルベルト・アインシュタイン

もうひとつのお話を。

たまたま手にした週刊誌で、元スイス大使、村田光平さんの
記事を読みました。

「反骨の外交官・村田光平」
「原発の危険性を世界に訴え続ける」

記事の最後は、

「核を完全に廃絶する。その目標をめざして、私は
 今後の人生も走り続けるつもりです」

とある。共振!すぐ連絡を取り、8月10日にお会いしました。

核も原爆も同じ。日本が世界に核廃絶を訴えていく責務がある。
そのことと、福島第一原発事故により、未だ、日本のみならず
世界が危機に貧していることの、現実を再認識しました。

村田さんからはご著書「原子力と日本病」を頂戴し、早速拝読しましたが、
扉を開くと、

  我々は考えすぎて感ずることが余りにも少ない。
  我々必要としているのは、利口さよりも思いやりと優しさである。

         -チャールズ・チャップリン

という言葉が。

時を同じくしてFacebookで、チャップリンの史上最高と言われる
スピーチ映像が流れてくる。

この演説は、1940年、ヒットラーがパリに進軍したその日に撮影されたそうです。
なんという勇気なのでしょう。死を覚悟して、魂を込めて、語りかける、真剣な6分間メッセージは、時を超えて、私たちの魂をも震わせます。

* * *

時間を現代に戻します。

2001年9月11日、ニューヨークの国連本部の広場でひとりの男が、
つい4日前に、国連で制定されたばかりの「ピースデー」国際平和の日の
セレモニーを行うために、準備をしていました。

プレスの前で、アナン国連事務総長と毎年9月21日の「ピースデー」制定を、
発表しようと準備していた瞬間に、9.11が発生。ワールドトレードセンターが
崩れ落ちるのです。

この、「ピースデー」を制定するのに奔走した男の名は、
ジェレミー・ギリー。イギリス人俳優が、あるとき世界で紛争が絶えないことに
疑問をいだき、いくつもの奇跡を起こし「ピースデー」を制定させたのでした。

誰もが9.11を見て、諦めろと言う。でも決してあきらめなかった。
「ピースデー」は、今や世界中に広がり、この日本でも、この日に
平和を願うイベントが開催されます。

9月21日は、ジェレミーの祖父の好きなラッキーナンバー。
そして、その祖父は、戦争捕虜として
長崎にいて、長崎原爆で被曝しているという・・。

ジェレミーの、チャップリンの、アインシュタインの、ガンジーの、、、
平和への強い思いを関根も強くこの胸にいだき、行動を続けます。

ジェレミーの、「ピースデー」を作るまでのドキュメンタリーは、
『ザ・デイ・アフター・ピース』として作品となっています。。

平和実現のために去年から、ピースデーに合わせて
国際平和映像祭を始めました。どうぞ、若者たちの
平和を実現する、したいという夢を応援してください。

国際平和映像祭

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