2010/9/25

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「ラダック 懐かしい未来」の発見は出来ただろうか。地方の農家に数日ファームステイ出来れば尚良かったが、ギャッツォのおかげで大雑把に見ることは出来たと思う。

ラダックで最も感じたことは、ラダックが急速な変化の途中にあるということだ。古い価値観と新しい価値観が否応なしにぶつかり、旧来の文化が失われようとしているように思えた。その例をギャッツォの家庭に見ることが出来る。

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ギャッツォの家庭は、ギャッツォの父がチベット仏教のリーダー的存在という伝統的な家庭だ。夕食は家族全員で食べることが決まっており、一番年上のタシお爺さんが席に座るまで、息子のギャッツォは緊張した面持ちで、直立不動の姿勢で両手をお腹の下のあたりに重ねる。身内に限らずラダックでは年寄りへの尊敬が徹底している。どんなことでも年寄りの戯言としてではなく、人生の経験者としての知恵をいただく姿勢で話を聞いている。座る場所も息子のタシと妻のアンモが末席と決まっている。

三世代が一緒に暮らし、食事をする。実はギャッツォの家庭で、この暮らしが消えようとしている。長男はデリーの高校に行っていて、大学のそのままデリーかもしれない。ギャッツォはラダックに帰ってくることを強要しないという。次男のタシの今の夢はエンジニアになること。これもラダックが1970年代に始めて世界に開かれる前だったら、絶対に思い描くことのなかった夢だろう。13歳の彼は、日本の子どもとどこも違うことなく、携帯でゲームもする。

家にはテレビこそないものの、冷蔵庫、洗濯機、ガスコンロ、ラジオがある。そしてトイレが2つ。ここがポイントなのだが、トイレは旧来式の下に落とすだけのものと、現代式の水洗式トイレの2種類あった。旧来式の方は、土と混ぜ、堆肥として家庭菜園の畑に戻る。エネルギーの循環があるということだ。水洗式はエネルギーが畑に戻らない。この2つが今は共存しているが、水洗式だけになった時に、ラダックにおいてのエコシステムが崩壊し、目に見える変化がさらに起きる時なのかもしれない。

こう分析してみるとラダックも日本と同じ道を進むかに思えてくる。昔からある文化、伝統よりも、メディアを通じて宣伝された個人社会の暮らし、消費を促す消費社会の方に憧れ、やがては物に心を奪われ、貧富の格差が生まれ、競争が生まれ、人の心が失われていく社会への変化だ。

いや、そうじゃないかもしれない。確かに方向としては確実にグローバル化に向かっているが、ラダックには2つの支えがある。ひとつは非営利団体による文化や伝統を守ろうという支えだ。具体的にはLEDeG やTIBET HERITAGE FUND(THF)の活躍がある。これらのNGOの活動が契機となり、ラダックの村、家庭や学校には、太陽光発電システムや小水力発電システムなどが備わっている。見方によっては日本よりも持続可能な社会に向けて、数歩先に行っているかもしれない。

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もうひとつは仏教の支えだ。今回の訪問で、ラダックの人々の生活に仏教が、表現が難しいが、生きた状態で存在していると強く感じた。ラダックでは、仏陀の教えが人々の心の支えとなり、また、コミュニティの中心として存在しているように感じられた。

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これらのことから、ラダックは日本や他の経済的先進国とは違う発展をしてくれるのではないかと期待を持てた。いや、それどころか持続可能な社会のモデルがひょっとしたらここで生まれるのかもしれないとさえ思えた。そうなると、書かれた当時とは時代が違うのでいろいろと違いは出るのだろうけど「ラダック 懐かしい未来」が世界の目指すひとつの道をあらためて示してくれるのかもしれないし、「ラダック 懐かしい未来」よりもずっと最近に完成したドキュメンタリー「幸せの経済学」が道しるべになるのかもしれない。

最後に。ラダックに来てますます日本が好きになった。日本にある豊かな自然。海の幸、山の幸。こんなに恵まれた国はそう他にないのではないだろうか。ラダックは、暮らしやコミュニティこそ豊かだが、高度3,500メートルを超える乾燥地帯であり、冬は何も出来なくなるほど冷え込み、実際ラダック全体が閉鎖状態になる。

今の日本にある言いようのない閉塞感。少子高齢化、増えるばかりの借金、国際競争力の低下。不安材料を挙げたらキリがない。でもひるがえって、日本の地政学的な資産を見直したらどれほどの資源が地方にあることか。日本の未来は、地方の再活性化、活躍にあるとラダックに来て再認識した。

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