これまで配給してきた一本一本の映画には、それぞれ使命がある。9.11から20年という歴史的タイミングの2021年9月11日に公開となった『ミッドナイト・トラベラー』のそれは、公開日前日に、福岡空港から羽田空港に向かう機内で言葉がおりてきた。
「これは、命を救う映画なんだ。」
忘れないように、これだけをスマホにメモも書いておいた。
なぜかこのあと涙が出た。
これまで50本ほど様々な映画を届けてきたが、
ここまでダイレクトな目的を感じた映画は他になかったからかもしれない。
この映画を作ったハッサン・ファジリ監督は、2015年、タリバンに殺されかけ、生き延びるために妻と娘2人を連れ、家族4人でアフガニスタンを脱出。
いくつもの国境を越える全5600kmもの逃避行を自ら家族たち自身が3台のスマホで撮影したという難民自身が撮影した他に類を見ないドキュメンタリー映画だ。
ファジリ監督は、ただでさえ生きて目的地ドイツまでたどり着けるかわからない旅を、なぜ映画したのかについてこう9月7日放送のNHK ニュースウオッチ9のインタビューで語った。
「私たちがタリバンから殺されそうになり、アフガニスタンを脱出することになった時、私たちは同じ境遇にある何百万人もの難民の声を代表する義務があると思いました。
そのために映画にしようと思ったのです。ドイツに生きてたどり着けるとは分かりませんでした。多くの人々が道中命を落としていました。」
インタビュー中、言葉につまり、泣き始めた瞬間があった。
「多くの文化人が取り残されています。映画監督、人権活動家、記者、詩人など、私たちに助けてくれと言うんです。でもその術を私たちは知らないのです。彼らは脱出したいと願っています。」
心が撃たれた。
そうか、2015年当時の彼と全く同じように命の危険を感じ、何とかアフガニスタンから脱出しようとしている人々が「今」2021年9月というこの瞬間に、彼に助けを求めているのか。生きるか、死ぬかの瀬戸際で。
『ミッドナイト・トラベラー』劇場公開の直前にセッティングしたいくつかのトークイベントがある。そのうちの一つが、9月7日に行ったかつてアフガニスタンで活動していたREALSの理事長で、外交官として軍閥の武装解除も行った経験のある瀬谷ルミ子さんとのオンライントークイベントだった。
開始前のZoom接続チェックで瀬谷さんが言った。
「関根さん。関根さんのフェイスブック投稿を見ました。監督が救出したい友人たちがいると。監督をつないでください。力になります。」
あちら側の世界と、こちら側の世界がパチンと音を立ててつながったと感じた瞬間だった。そして過去を記録した一本のドキュメンタリー映画が、人命救出という具体的な使命を帯びた瞬間だったのかもしれない。
ドイツにいるファジリ監督、日本にいる瀬谷さん。そしてアフガニスタンで救出を待つ人々。
「これは、単なる映画じゃない。人の命を救う映画なんだ。」
ファジリ監督(普段はハッサンと呼んでいる)と出会ったのは、2019年11月だった。オランダで毎年開催されている世界最大規模のドキュメンタリー映画祭、IDFAのパーティー会場でばったりと出会った。
映画関係者と雑談していると、紹介したいアフガニスタン人監督がいると言われ、飛び跳ねるように小走りでやってきたのがハッサンだった。
渡されたのはコピー用紙に印刷された彼の名刺。『ミッドナイト・トラベラー』の監督だと言われ、何度か頭の中で映画タイトルを言葉に出していた。
あの『ミッドナイト・トラベラー』の監督か!
国連UNHCR協会の「WILL2LIVE Cinema」で取り扱っていた作品だから、観ていた映画だった。
思わず、両手を上に掲げ、彼とハグした。
そしてまくし立てるように聞いた。
「奥さんは?子どもたちは元気?」
この時のハッサンは、屈託のない笑顔でパーティー会場を小走りで、時折ジャンプして喜びを表現するおちゃめな明るい風変わりの監督に映った。
「無事にドイツで生活を始め、みんな元気ですよ!」
ハッサンが喜んでいる理由は、映画人として初めてドイツから国外に出るビザがおり、オランダの映画祭に来れたからだった。あの命がけの5600kmの旅の後に。
でもその2年後、事態は急変した。
20年に及んだアメリカによるアフガニスタン戦争が8月末で集結。同月末までに米軍がアフガニスタンから撤退する過程で、タリバンが勢力を拡大し、あっという間にカブールを掌握し、政権を奪取してしまったのだ。
ハッサンがアフガニスタンを脱出した2015年から6年。
多数のアフガニスタン人が、タリバンに命を狙われ、またはこれからのアフガニスタンに絶望し、脱出をしようと空港や国境に殺到したのだ。
トークイベントの後、瀬谷ルミ子さんとハッサンをつないで大きな展開があったのが9月21日、ピースデーに東京タワーで主催したピースデー特別イベントが終わった夜のことだった。
瀬谷さんからメッセージが届いた。
「関根さん、まだ詳細がいえないのですが、ハッサンの関係者を含む退避の件、いま極秘で進めています。ハッサンとは連日数十回以上連絡をとっています…。
最後まで越えなければいけない山がたくさんありどうなるか気が抜けないのですが、奇跡的に一番大きな山が動かせた状態です。」
「もし成功したら、確実に関根さんと私のつながりがなかったら救えなかった人たちです。」
こんなメッセージを受け取り、何もしないという選択はないでしょう。
この場に居合わせた友人たちとの会話を中断し、真剣な表情で訴えた。
「たった今、アフガニスタン人救出について大きな動きがありました。今なら命を救えます。僕は決めました。合計1,000万円集めたい。100万円を出します。出来たら同額をお願いできませんか?」
こうやってピースデーの夜、その場で300万円の寄付が決まった。
この日、ピースデーは世界中が休戦と非暴力のために活動する日。
一人でも命を救えるなら、これ以上のことはない。
また涙が出てきた。
「何のために生きているのか。何のために映画をやっているのか。平和のためです。今なら命を救えるなら僕は全力でやります。」
あと700万円。さらには昨日10月9日に瀬谷ルミ子さんのREALs自身が始めたクラウドファンディングでも1,000万円。なんとか達成したい。お力を貸してください。
緊急支援:アフガニスタンで命の危険に晒されている人々に退避と保護を
『ミッドナイト・トラベラー』は全国順次公開中です。
ピースデーの夜は満月だった。
ハッサン・ファジリ監督はアフガニスタンでカフェを経営していた。映画の野外上映や映画撮影を教えたり。自由な雰囲気のカフェだった。
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