『ジャーナリスト 後藤健二: 命のメッセージ』(栗本一紀著)を読了。この本は後藤さんを追憶するために書かれたというよりも、人類の平和のために、若い世代に後藤さんや、ご自身も映像作家で映画監督である著者の栗本一紀さんの経験を通じて、ジャーナリストの役割、心得や使命を伝えようとするものである。特にジャーナリストを目指す若者にオススメしたい。
IS(イスラム国)により後藤さんが残酷にも殺害されてしまってからおよそ2年が経過する。もうそんなに長い歳月が流れたのかと思いつつこの本を読んで強く感じたことは、死んでもその人の命は誰かの心の中で生き続け、死後もその後の世界に影響を与えることが出来るということ。事実、彼の精神は私の中で生き続け、彼の死をきっかけに幾つかの行動と出会いが生まれたのだ。
そもそも後藤健二さんの死は、決して他人事と思うことが出来なかった。共に”KENJI”だし、それに彼が長髪だった頃の写真が本に掲載されているのだが、一瞬ではあるが、どこか面影が私と似ていると自分では思うのだ。だからという訳ではないが、2年前、彼がシリアでイスラム国の人質となったニュースは、自分に起こっていたことのように気が気でなく、テレビやインターネットで逐次情報をチェックしていたことを思い出す。
本書で指摘されていることだが、後藤健二さんが行方不明になってから、後藤さんの家族に身代金を要求するメールが届き、それは外務省へと伝えられ、秘密裏に交渉が進められていた事実がある。安倍首相は後藤さんがISの人質になっていると知りながらも、後藤さんが殺害される約2週間前の2015年1月17日に、イスラム国の脅威を食い止めるため、ISILと戦う周辺国におよそ2億ドルの支援を申し出るという、ISへの宣戦布告とも考えられるスピーチをエジプトで行ったのである。後藤さん解放に全力を尽くすどころか、ISを挑発する行動を起こしたという面では、本書の著者栗本一紀さんが「後藤さんは政府によって殺されたように見えます」という見方は誤っていないように思える。
安倍政権が当時声高に訴えていた「積極的平和主義」の中身が、積極的にIS等のテロ組織と積極的に対峙していくという軍事的なものであれば、それは本来平和学の父、ヨハン・ガルトゥング博士が提唱する「積極的平和」とは全く異なるもので、平和国家日本が進むべき道ではないと考えた。後藤さんが死に至るまでの日本政府の対応を見て危機的なものを感じた私は「積極的平和」の本家本元の提唱者、ヨハン・ガルトゥング博士を日本に呼ぶことを決意し、その後2度に渡って日本に来ていただくことに繋がった。
このような流れで言えば、後藤さんの死がガルトゥング博士を日本に呼び寄せるきっかけとなったのだ。ガルトゥング博士の来日はテレビ、新聞、雑誌と大変多くのメディアで取り上げられ話題となり、本来の「積極的平和」が広く伝播され認識を広げることが出来たと思う。来日時にガルトゥング博士が提唱した「積極的平和」に基づく考えが、政府に取り入れられることを願っている。
後藤さんの死の10年以上前に、もう一名青年がイラクでISの前身となる組織の人質となり、自衛隊をイラクから撤退しなければ殺害するという事件が発生していることも本書で紹介されている。その彼とは、2014年10月に殺害された青年は香田証生さんだ。彼の死についても決して他人事ではなく、もしかしたら自分だったかもしれないと思う事情が私にはある。実は私は2003年12月初旬にイラク行きを決意し、娘が生まれた1週間後ぐらいに隣国ヨルダンの首都アンマンへと飛んでいる。そして偶然その後、香田さんが泊まることになる同じホステルに宿泊し、同じマネージャーにイラクのバグダッド行きのバスへの乗り方を教えてもらい、そのバスに乗り込んだのだった。彼との違いは、私が当時の情勢から危険を察知し、イラク国境でバスを降り、引き返したことである。実は、渡航直前の2003年11月29日に、イラクで外務省の奥克彦参事官と井ノ上正盛三等書記官が射殺される事件が発生していたし、現地で仕入れた生の情報から判断し、国境で引き返すことを決めたのだ。だから香田証生さんの死は、自分の死と重なり合った。
話しを後藤健二さんに戻したい。後藤さんが殺害された後、テレビのニュース番組で後藤さんと10年以上の付き合いという男性がコメントしていた。それが『ジャーナリスト後藤健二 命のメッセージ』著者の栗本一紀さんだった。慌てて録画し、お名前が出るシーンを確認して、コンタクトしたことが栗本さんとの出会いだった。栗本さんからは「I AM KENJI」を始めたニューヨーク在住の映像プロデューサー西前拓さんと、初めて広島原爆被害をアメリカに知らせたピュリッツァー賞受賞作家ジョン・ハーシーの孫、キャノン・ハーシーを紹介して頂いた。彼らとの付き合いは今も続いており、偶然とは思えないが、後藤さんの2年目の命日に近い1月19日というタイミングで東京で再会したばかりだ。こうやって後藤さんの事件をきっかけに出会った栗本さん、西前さん、そしてキャノンとは、今後何かを共に起こしていく予感がしている。こうして一度も会うことが出来なかった後藤さんが命のメッセージで繋いでくださったご縁を大切に、行動を重ねて行きたいと思う。
「I AM KENJI」。
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