IMG_4898

4月8日-4月9日

ダラス、成田は13時間のフライト。

シングルシートじゃ長すぎる旅。

調度良く真ん中5シートが開いているスポットを見つけたから、座ろうとしたら「そこに座るの?」と声をかけられた。「そうだけど」と言うと「私もなの」と。

飛行機のドアが閉まるまでの15分。2人で5シートを専有出来るように「Hope for the luck」。幸い誰も来なかったので我々2人で使うことになった。

「日本に住んでいるんですか?」

と聞くと昔はね、と。今回は1週間の滞在だとう。60代。ドイツ出身で現在はアメリカのテキサス州オースティンで暮らす彼女は日本の国分寺にもマンションを持ってる。というのも日本人と結婚したからだ。しかし残念ながら彼が半年前に他界した。心の整理がついたら数年後に住み慣れたマンションを手放す予定だ。

ICUに留学し、2つの大学院を卒業した秀才で、日本で勤めた後は弁護士としてアメリカで移民のために働いていた。ある時ニカラグアで政治亡命して来た女性のために弁護していたが、結局移民を受け入れたくないアメリカ政府の姿勢にひどく疲れ、仕事を辞めることになった。そして昔から趣味だったバッグやアクセサリーのデザイン販売のビジネスを立ち上げることになる。

夫とはICU時代に学費を払うためにやっていた英語教師の時に出会った。彼は日本の大手企業の社員で彼女はその英語教師という関係だった。彼は定年退職まで勤め上げ、休みが取れてもたった5日だったところ、ようやく長期休暇が取れるようになり一緒にバハマのエルーセラ島(Eleuthera)に4週間の旅が出来た。道が一本しかない長細い島で、彼女は泳ぎ、夫は毎日釣りを楽しむ最高の日々だった。しかし旅が終わってしばらくして、彼はガンになり他界してしまう。

「日本のサラリーマンの働き方はおかしいのよ」

と彼女は言う。通勤電車でストレス、長時間労働でストレス。家族との時間はろくに取れず、有給休暇が年間20日以上あったとしても取れる休暇は5日程度。

「彼にもっと休んでよと言ったの。でも「仕方ない」んだと言って仕事ばっかりしてた。「仕方ない」って言葉が大嫌いよ!」

ようやくリタイアしても何をしていいか途方にくれていた彼は、彼女の仕事に興味を持ち、仕事を手伝うようになり、彼女の商品をネットオークションで売るようになった。でも、時間は限られいた。

「好きなことをしなさい。この飛行機だって数分後に墜落するかもしれないのよ。待っている意味はないの。何だって今すぐやりたいことやりなさい」

ようやく自由を手に入れて間もなく他界してしまった夫の死を看取った彼女の言葉には、魂がこもっていた。

「ずっとメルセデスの大型車が欲しかったの。ベットがある車。この車ならアメリカのどこを旅しても、山頂など好きなところに車を停めて、旅をしながら生きれるから」

絶対に待たない。時間を無駄にしない。今を最大限生きる彼女の姿勢にとても共感した。

「まだ独身で、日本に暮らしていた時、こんなことがあったの。ニューヨーク出身の女の子とルームシェアしてたんだけど、仕事から帰って来た日にたまたま鍵を忘れて、家に入るために庭の竹やぶを分け入って入ろうとしたの。そしたら日本人の男性が侵入してて、私のニューヨークの友達を見て(省略)。彼女に「警察に電話して!」って叫んだら、「警察の番号知らないわ!」って返ってきたから唖然としたわよ。大声出すものだから、その男は逃げるように私に突進してきたの。逃げていった彼に向かって石を3つもぶつけてやったわ(笑)。それから警察に電話したんだけど、当時の私のつなたい日本語では「私の住んでいる庭で、自分で楽しんでいる男がいました」としか言えなくて、そしたら警察が「そういう季節だからね」と答えたことは、一生忘れられないわ。だって、パトロールしてくれるとか、何かしらしてくれるんだろうと期待していたから」

息が吸えないほど笑ってしまった。
話題は多岐に渡り、福島原発事故について彼女はこんなことを言った。

「東京電力の責任者はひどすぎるのよ。何で責任を追求されないのか訳が分からないわ。なぜ責任を問われないの?日本人は和を重んじるあまりに怒ることを知らなすぎるのよ」

亡くなった旦那さんも怒っていて、反原発デモにも参加したことがあるとう。震災から4年。ますます忘却が進み、風化してしまうだろう。しかし忘れる前にやるべきことがあるのではないか。それは自然エネルギーへの転換であり、今も避難生活をしている人々に最大限のサポートをすることだ。

日本では国際引越しサービス会社に入社。横浜にオフィスがあったが行くのは金曜日だけだった。他の社員は月曜日から金曜日行っていたがデスクに夜10時まで何の意味があるのか分からない!行く意味なかったわよ。と頑として行かなかった。

時は1980年代でまだ女性の社会進出が稀な時代だった。ドイツでは1970年代後半にはフェミニズム運動があったから状況が全然違った。「女性だからとお茶を出してと言われた時は、お茶に塩を入れてだしてやったわ」という調子で日本を乗りこなした。しかし日本語を話せるとは言え女性でしかもドイツ人の金髪。相当な風当たりがあった。東京では外資系の中間管理職のおじさんを相手に営業をしてみたが、外見や女性であることから相手にしてもらえないどころか、嫌煙されて、おじさんへの営業はやめてしまう。

その代わりに重職にある外国人妻にターゲットを絞り、徹底的に社長や役員の妻をあらゆる手段を使って探し出し、電話をかけまくった。

「海外に引っ越されるとき、家財道具に特別なケアが必要なら力になれます」

会社は認めていない、そして会社には内緒で型破りな営業方法で業績をぐんぐんと伸ばしていった。成績がいいから会社に行かなくても文句はでないという訳だ。平日によく映画を観に行っていたとも(笑)。

そのように業績は良かったが、日本の膠着したサラリーマン社会に辟易とした彼女は、アリゾナ州の大学院で経営を学ぶ道を選ぶ。夫の勧めもあってのことだ。そして弁護士を経て、独立したという流れだ。

母親に今の仕事をすることを納得してもらうのに20年もかかった。趣味から生まれた仕事。楽しくて仕方がない。小さいころから何かを作るのが大好きだった。ICU時代に東京でフリーマーケットに行ったら、100年以上前の陶器や和服がたたき売りされていて、なけなしのお金で買ったこともあった。今はそれが仕事になっている。アフリカではモロッコによく行く。アジアは日本やパプアニューギニアにも行く。古代のお金だった石をアクセサリーにしたり、伝統的な刺繍をバッグや枕カバーにアレンジして売っている。

販売方法はインターネットと対面と、商品展示会だ。商品展示会は年に2回大規模なものがアメリカであるからこれだけは必ず参加している。それ以外は、行きたいときに行きたい国に飛び、好きなことをしている。

「明日ドイツに行きたければ、飛行機に乗っちゃうわ」

自分に必要なものが分かっているから、必要なものにお金は躊躇せずにかける。今回の飛行機も体が大きいからファーストクラスの選択もあったけど、エコノミーの席を2席買った。広いスペースが得られるし、運べる荷物も2倍になる。食事なんかは気にしない。

「あんまりやる人はいないけど、私みたいな商売をしている人にとってはファーストクラスを選ぶよりもお得なのよ。普段は贅沢なんてしないわよ。靴なんて3足しか持ってないわ。服もほとんど買わないし。お金持ちではないけど、今のライフスタイルに満足しているわ。大切なのは自分に何が必要か知ることね。そうしたらもっと人生を楽しめるわ」

彼女は典型的なホッピング・ライフ実践者だと思った。普段住む家すらもういらないのだという。なぜならベット付きのメルセデスを買ったから。好きなところに行って、好きなところで寝る。

「ある時ロッキー山脈に、その時乗っていたサンルーフ付きのピックアップトラックで行った時、満点の夜空を車で寝そべりながら見たの。スイス出身の宇宙を感じられるよな音楽を聴きながらね。その時は宇宙までぶっ飛んだわよ。薬なんかやってないわよ」

「時間を無駄にしちゃだめよ。私の旦那みたいにね。好きなことをやるのよ!」

分かっちゃいるし、そうしているつもりだけど、彼女ほどフルスロットルで人生という乗り物を乗りこなしてるかな?そう振り返ると、いやいやまだまだフルスロットルじゃない。もっともっとスピードを上げて人生を楽しめる余力があるじゃないか。普段、ハンドルを握ってもいないこともあるし。迷うことはない。まっすぐに、目的地に向かって、フルスロットル。最後の最後に最高の出会いだった。

福岡行きのフライトで
福岡行きのフライトで

ところでコスタリカに行っていた話をしたら、なんと今、彼女の姪の旦那が国連平和大学に在籍していると言うではないか!姪もコスタリカに住んでいるんだとか。不思議な、運命的なご縁。彼女とは今後何度も会うようになる予感がしている。


平和ってなんだろう―「軍隊をすてた国」コスタリカから考える (岩波ジュニア新書)

コスタリカ日記 サンホセでイースター(復活祭)

コスタリカ日記 テノリオ国立公園麓の農家風古民家ステイで癒される

コスタリカ日記 火山で感じた深遠なる平和

コスタリカ日記 国連決議で設立されたコスタリカの国連平和大学

コスタリカ日記 国会への突撃訪問

コスタリカ日記 サンホセからマイアミへ

コスタリカ日記 マイアミ、ダラス、成田経由で福岡へ


Comments are closed.