1999年に初めて訪れて以来、何度目の訪問だろう?
イスラエル・パレスチナに今度は家族で訪問した。

1999年から17年。大学を卒業した直後に世界半周の旅の
途中でふらりとやって来て、気付いたら紛争地ガザ地区にいた。
ここでの体験が、その後の人生にこんなにも大きく影響するとは・・・。

エルサレム旧市街に入る門の一つ、ヤッファ門を入って
一つ目の路地を左に行って数十メートル行くと、ワイン屋がある。
大学卒業したてのあの頃はワインの輸入貿易会社を設立するのが
夢だったから、ワイナリーやワイン屋巡りをイスラエルでもしていた。

ワイン屋の店員との会話を今でも覚えている。
なぜか人生を生きる意味の話になり、人生は
「マネー or ライフ」だよと説かれた。
このことは、自著「ユナイテッドピープル」に出てくる。

子どもたちをこのワイン屋の前に連れて行き、
原点の一つを見せたけど、話半分、もう忘れているだろうな。

城壁に囲まれた旧市街は多様性に満ちている。狭いエリアでイスラム教、ユダヤ教、キリスト教徒が所狭しと暮らしている。そしてそれぞれの信者たちが千年以上平和を願い、祈り続けている。祈る姿は美しい。この祈りが自己や自らの宗教を信じる者たちだけでなく、他者の平和も願う祈りとなれば、この世から争いはなくなるのだろうと思った。

岩のドームには今回も入ることができなかったが、聖墳墓教会嘆きの壁は訪問した。

聖墳墓教会から東に抜けていくエリアがイスラム教徒の居住区だが、必ず寄る店がある。
Nafez Gheith Souvenir Shopという土産物屋だ。
最初にここに行ったのは、10年ぐらい前だったと思う。店主は、同胞パレスチナ人のためにも
このお店を経営しており、ガザ地区で手織りで作られたクッションカバーを販売していた。
ガザ地区は占領下に置かれた上、封鎖されている。当時は、医療関係者にクッションカバーを
運んでもらっていたと言っていた。

ナフェズさんの想いに心動かされ、2つクッションカバーを買ったが、今でも
我が家で愛用している。ナフェズさんに、何かパレスチナの人々のためにできることは
ないかと聞くと、「多くの日本人旅行者を連れて着てほしい。そして、観光地だけでなく、
パレスチナ西岸地区も訪れ、現実を知ってほしい」と言われた。

それから数年後、約束を守り、8人ぐらいのグループで訪問した。
そして今回は家族で。

今は健康が良くなく、たまにしか店に来ないというナフェズさん。
たまたまこの日はお店にいてくれ、家族を紹介しつつ、挨拶することができた。

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「今度は私が西岸地区を案内するから、また友人を連れてきてほしい」

また新たな約束をして別れたのだった。再会を楽しみにしている。

Nafez Gheith Souvenir Shop
Jerusalem-Al khanga St. Near the 8th station,Via dolorosa.


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