2010/09/20

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午前6時ぐらいにデリーからレー(Leh)空港に到着。目的地はラダックだ。後で詳しく書くが、ヘレナから紹介されていた彼女の知人、ギャッツォが迎に来てくれることになっていが、外に出てもKENJI SEKINEと書いた紙は見当たらなかった。インドに出発前にメールは入れておいたのだが、恐らくメールチェックしなかったのだろう。昨日デリーから電話すべきだったのだが、忙しく歩きまわってしまい、電話しそびれてしまった。

外に出るとタクシー運転手たちの奥手な客引きを気持よく聞きつつ、ギャッツォは来ているかと聞く。やはりいないという。ポケットとバッグから携帯を二台その場で取り出す。一台は日本から持ってきたiPhone。もう一台は、海外用にいつも持ってきている世界中で使えるNokiaの携帯。昨日デリーでラダックでローカル電話が出来るようにSIMカードを購入して挿入してあったから、ここでも使えるはずだったがサービス対象外区域のようでつながらない。もたもたしていると、まわりにいた運転手が「ギャッツォの電話番号は?」と聞いてくれ、ギャッツォに電話をかけてくれた。

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「ギャッツォですか?日本から来たKENJI SEKINEです。ヘレナの紹介でやって来たものです」
やっぱりメールは見れていなかったようで、
「今から私の家に来てください。電話をしてくれた運転手と一緒に来てください」

運転手に親切にギャッツォの家まで送ってもらった。そのまま帰ろうとするから、いくらですか?と何とか聞き、200ルピーを支払うことに成功した。ここでは、お金を受け取ることが申し訳ないという感覚があるみたい。払う側も、感謝の気持ちを受け取って欲しいという気持ちでお金を渡す。いいお金の流れがラダックにはあるように、いきなり感じた。

こんな行き当たりばったりの旅が大好きだ。そもそもギャッツォを紹介してくれたヘレナには会ったことがない。会ったことのない人から、さらに会ったことのない人を紹介してもらい、それでも100%信用して運命に身をゆだねる。この先どうなるんだろう。どんなハプニングが起こるんだろう。この先起こる「何か」に期待してワクワクした気持ちで胸が高まってしょうがない。

さてヘレナのこと書こう。
彼女のフルネームは、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ。「ラダック 懐かしい未来(Ancient Futures)」の著者と言えば分かる人がいるかもしれない。彼女の著書はたしか世界40ヶ国以上で出版され、韓国だけでも30万部売れたというからベストセラーと言っていいだろう。彼女は、ノーベル平和賞の市民活動版とも言われる賞を受賞している。日本では、「ラダック 懐かしい未来」は廃盤となり、中古本しか手に入らないが、僕は数年前にこの伝説的な本の噂は聞いたことがあった。まさかのつながりで、今こうしてラダックにいることが信じられない。

ヘレナは数十年に渡りインドのチベット地方、ラダックの変化をつぶさに見続けてきた。かつて始めて彼女がラダックに入った頃、彼女が「ラダックで最も貧乏な家を見せてください」と聞くと、「そんな家はありません」という答えが返ってきたそう。その8年後に、同じ人が「貧困で苦しんでいるラダックを助けてください」と言うのを聞いたそうだ。

ヒマラヤ山脈に位置し、ラダックの標高は3,500メートル。5,000メートル級の山も近くにあるようだ。世界とは切り離されたこんな辺ぴなところにもグローバリゼーションが押し寄せて来たんだ。将来の利益の先取りである借金により、道路、飛行場、発電所が次々と出来ていく。ローカルコミュニティーで、慎ましやかだが文化的に助け合いながら暮らしてきた人たちのところに、世界各地で起きているように開発の波が押し寄せてきた。

開発が進み、人々は豊かさの基準を変えられてしまった。かつての日本が経験したように物が豊であることが、すなわち幸せのような感覚にテレビや雑誌などのメディアを通じて思うようになってしまった。テレビを見て知った豊かな生活を手に入れるために、若者は都会に移住する。親は子どもに教育を受けさせるために働き、子どもは進学のために、やはり都会に行く。工場や都会に仕事を求めても、雇用されず、食いっぱくれて貧困に陥る人たちも出てきた。そうするうちに、やがては村を支えていた男たちが村から消え、多くの人が、かつての農的暮らしが出来なくなった。コミュニティーの崩壊、貧困の出現、その他、かつてのラダックには存在しなかった問題がグローバリゼーションの結果生み出されてしまった。ヘレナは、このようなラダックの変化を見続けてきた経験から、グローバリゼーションの負の側面を訴え、ローカリゼーション、すなわち地域内で支え合いながら暮らす生活や経済に移行しなければならないと主張している。

そんなヘレナと僕をつなぐ一本の細い線は映画だった。
僕は去年から、バングラデシュのNGOが制作した映画、「アリ地獄のような街」を日本で配給宣伝している。映画館での上映と、日本全国での自主上映をこれまでに合計で四十数箇所でやってきた。この事実をヘレナと代表者が知人である、横浜の孝道山という比叡山系の仏教のお寺の方が知り、ヘレナの最新ドキュメンタリー映画「幸せの経済学(The Economics of Happiness)」を日本で配給宣伝してくれないかというオファーをくれたのです。「横浜で映画の配給会社がないかと探したら、御社が見つかったんです」と。何度か、孝道山の岡野統理(代表者)などと面会し、正式に弊社に依頼してくださることになり、ヘレナと連絡を取り始めたのが今年8月23日のこと。そして今日、9月20日にはラダックに。ああ不思議。

だからラダックに来た理由は、「ラダック 懐かしい未来」のかけらを探すため。かつて素晴らしいコミュニティがあったラダックも、出来るだけ地方を旅することで見つけたい。今回の映画で訴えるグローバリゼーションの負の側面も見たい。この滞在中、ヘレナが紹介してくれた人や、孝道山の関係者が初回してくださった仏教関係者の方を含め、多くの人の話を聞きたいと思う。

今はギャッツォの家で休んでいる。ヘレナからの指示に従っているからだ。何せいきなり飛行機で標高3,500メートルに飛んだから。しばらく休んでから、今日はマーケット周辺を見て、インターネットカフェを探し仕事をして終わりにする予定だ

***

タシお爺さんとの会話

ギャッツォの父で著名なチベット仏教の学者であるタシお爺さんは朝、畑の中で軽い運動をする。中国での太極拳のイメージだろうか。畑から大地のエネルギーを吸収しているようにみえた。タシお爺さんにとっては、朝ごはんのようなものなのだろうか。

その次にタシおお爺さんを見たのは、マーケットから帰った時だった。やはり畑に面した部屋で、瞑想をしていた。夕食前に、彼の部屋を覗いた時も、まだ瞑想をしていた。毎日、同じ生活を繰り返しているのだろうか。

夕食時に、タシお爺さんとお話をすることができた。

会話の中で受け取った教え:

人間はシンプルに生きることが出来れば、幸せになれる。
あれも欲しい、これも欲しいという欲を捨てれば幸せになれる。
チベットにも解脱した僧侶がいるが、解脱者はいかにシンプルに生きることか。
「みんな禅の僧侶になってしまえばいいのに(笑 日本人の僕を意識した発言)」
→物がいらないシンプルな生活が出来るようになれば、人は幸せになれる(足るを知るということだな)

2010/09/20

午前6時ぐらいにデリーからレー(Leh)空港に到着。目的地はラダックだ。後で詳しく書くが、ヘレナから紹介されていた彼女の知人、ギャッツォが迎に来てくれることになっていが、外に出てもKENJI SEKINEと書いた紙は見当たらなかった。インドに出発前にメールは入れておいたのだが、恐らくメールチェックしなかったのだろう。昨日デリーから電話すべきだったのだが、忙しく歩きまわってしまい、電話しそびれてしまった。

外に出るとタクシー運転手たちの奥手な客引きを気持よく聞きつつ、ギャッツォは来ているかと聞く。やはりいないという。ポケットとバッグから携帯を二台その場で取り出す。一台は日本から持ってきたiPhone。もう一台は、海外用にいつも持ってきている世界中で使えるNokiaの携帯。昨日デリーでラダックでローカル電話が出来るようにSIMカードを購入して挿入してあったから、ここでも使えるはずだったがサービス対象外区域のようでつながらない。もたもたしていると、まわりにいた運転手が「ギャッツォの電話番号は?」と聞いてくれ、ギャッツォに電話をかけてくれた。

「ギャッツォですか?日本から来たKENJI SEKINEです。ヘレナの紹介でやって来たものです」

やっぱりメールは見れていなかったようで、

「今から私の家に来てください。電話をしてくれた運転手と一緒に来てください」

運転手に親切にギャッツォの家まで送ってもらった。そのまま帰ろうとするから、いくらですか?と何とか聞き、200ルピーを支払うことに成功した。ここでは、お金を受け取ることが申し訳ないという感覚があるみたい。払う側も、感謝の気持ちを受け取って欲しいという気持ちでお金を渡す。いいお金の流れがラダックにはあるように、いきなり感じた。

こんな行き当たりばったりの旅が大好きだ。そもそもギャッツォを紹介してくれたヘレナには会ったことがない。会ったことのない人から、さらに会ったことのない人を紹介してもらい、それでも100%信用して運命に身をゆだねる。この先どうなるんだろう。どんなハプニングが起こるんだろう。この先起こる「何か」に期待してワクワクした気持ちで胸が高まってしょうがない。

さてヘレナのこと書こう。

彼女のフルネームは、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ。「ラダック 懐かしい未来(Ancient Futures)」の著者と言えば分かる人がいるかもしれない。彼女の著書はたしか世界40ヶ国以上で出版され、韓国だけでも30万部売れたというからベストセラーと言っていいだろう。彼女は、ノーベル平和賞の市民活動版とも言われる賞を受賞している。日本では、「ラダック 懐かしい未来」は廃盤となり、中古本しか手に入らないが、僕は数年前にこの伝説的な本の噂は聞いたことがあった。まさかのつながりで、今こうしてラダックにいることが信じられない。

ヘレナは数十年に渡りインドのチベット地方、ラダックの変化をつぶさに見続けてきた。かつて始めて彼女がラダックに入った頃、彼女が「ラダックで最も貧乏な家を見せてください」と聞くと、「そんな家はありません」という答えが返ってきたそう。その8年後に、同じ人が「貧困で苦しんでいるラダックを助けてください」と言うのを聞いたそうだ。

ヒマラヤ山脈に位置し、ラダックの標高は3,500メートル。5,000メートル級の山も近くにあるようだ。世界とは切り離されたこんな辺ぴなところにもグローバリゼーションが押し寄せて来たんだ。将来の利益の先取りである借金により、道路、飛行場、発電所が次々と出来ていく。ローカルコミュニティーで、慎ましやかだが文化的に助け合いながら暮らしてきた人たちのところに、世界各地で起きているように開発の波が押し寄せてきた。

開発が進み、人々は豊かさの基準を変えられてしまった。かつての日本が経験したように物が豊であることが、すなわち幸せのような感覚にテレビや雑誌などのメディアを通じて思うようになってしまった。テレビを見て知った豊かな生活を手に入れるために、若者は都会に移住する。親は子どもに教育を受けさせるために働き、子どもは進学のために、やはり都会に行く。工場や都会に仕事を求めても、雇用されず、食いっぱくれて貧困に陥る人たちも出てきた。そうするうちに、やがては村を支えていた男たちが村から消え、多くの人が、かつての農的暮らしが出来なくなった。コミュニティーの崩壊、貧困の出現、その他、かつてのラダックには存在しなかった問題がグローバリゼーションの結果生み出されてしまった。ヘレナは、このようなラダックの変化を見続けてきた経験から、グローバリゼーションの負の側面を訴え、ローカリゼーション、すなわち地域内で支え合いながら暮らす生活や経済に移行しなければならないと主張している。

そんなヘレナと僕をつなぐ一本の細い線は映画だった。

僕は去年から、バングラデシュのNGOが制作した映画、「アリ地獄のような街」を日本で配給宣伝している。映画館での上映と、日本全国での自主上映をこれまでに合計で四十数箇所でやってきた。この事実をヘレナと代表者が知人である、横浜の孝道山という比叡山系の仏教のお寺の方が知り、ヘレナの最新ドキュメンタリー映画「幸せの経済学(The Economics of Happiness)」を日本で配給宣伝してくれないかというオファーをくれたのです。「横浜で映画の配給会社がないかと探したら、御社が見つかったんです」と。何度か、孝道山の岡野統理(代表者)などと面会し、正式に弊社に依頼してくださることになり、ヘレナと連絡を取り始めたのが今年823日のこと。そして今日、920日にはラダックに。ああ不思議。

だからラダックに来た理由は、「ラダック 懐かしい未来」のかけらを探すため。かつて素晴らしいコミュニティがあったラダックも、出来るだけ地方を旅することで見つけたい。今回の映画で訴えるグローバリゼーションの負の側面も見たい。この滞在中、ヘレナが紹介してくれた人や、孝道山の関係者が初回してくださった仏教関係者の方を含め、多くの人の話を聞きたいと思う。

今はギャッツォの家で休んでいる。ヘレナからの指示に従っているからだ。何せいきなり飛行機で標高3,500メートルに飛んだから。しばらく休んでから、今日はマーケット周辺を見て、インターネットカフェを探し仕事をして終わりにする予定だ

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タシお爺さんとの会話

ギャッツォの父で著名なチベット仏教の学者であるタシお爺さんは朝、畑の中で軽い運動をする。中国での太極拳のイメージだろうか。畑から大地のエネルギーを吸収しているようにみえた。タシお爺さんにとっては、朝ごはんのようなものなのだろうか。

その次にタシおお爺さんを見たのは、マーケットから帰った時だった。やはり畑に面した部屋で、瞑想をしていた。夕食前に、彼の部屋を覗いた時も、まだ瞑想をしていた。毎日、同じ生活を繰り返しているのだろうか。

夕食時に、タシお爺さんとお話をすることができた。

会話の中で受け取った教え:

人間はシンプルに生きることが出来れば、幸せになれる。

あれも欲しい、これも欲しいという欲を捨てれば幸せになれる。

チベットにも解脱した僧侶がいるが、解脱者はいかにシンプルに生きることか。

「みんな禅の僧侶になってしまえばいいのに(笑 日本人の僕を意識した発言)」

→物がいらないシンプルな生活が出来るようになれば、人は幸せになれる(足るを知るということだな)


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